文化的ライフラインとしての文字: カナダ先住民文字の知られざる物語

マービン・ナウエンドーフ著・川崎由佳

2024年4月2日
他の言語: Deutsch, English.

 
In the photograph, Naulaq LeDrew is captured during the filming of a short film in Iqaluit, Nunavut, 2018. She is adorned with traditional Inuit snow goggles carved from wood, designed to reduce glare and prevent snow blindness.

ナウラック・レドリュー (Naulaq LeDrew、ᓇᐅᓪᓚᖅ ᓕᑐᕈ) ヌナブト州イカルイト( Iqaluit, Nunavut)にて、アヴァターラ・アユソフリー監督の短編映画『I AM NAULAQ』の撮影中、2018年
(Avatâra Ayusohree, Three Women Three Films, used under Canadian Fair Dealing law)

ナウラック・ルドリュー(ᓇᐅᓪᓚᖅ ᓕᑐᕈ)は、なぜ自分の言語であるイヌクティトゥットを守ることが重要なのかとインタビューで尋ねられた。

すると、彼女はそれはあたりまえであることのように、

「わたしが生きているから重要なのです。ᐃᓅᒐᒪ, ᐃᓅᒐᕕᑦ. あなたが生きているから。」

と答える。彼女はアーティストであり、長老で、トロントの都市イヌイット・コミュニティの重要なメンバーである。非営利団体トゥンガスヴヴィンガット・イヌイットが行ったインタビューでは、彼女は英語とイヌクティット語を織り混ぜて回答する。同様に、質問も彼女の名前も、字幕とともにイヌクティトゥット語の表記法であるカナダ先住民文字(CAS)で表示されている。

ᐃᓅᒐᒪ, ᐃᓅᒐᕕᑦ.
— ᓇᐅᓪᓚᖅ ᓕᑐᕈ

言語を守ることは、単に言語的な努力だけではなく、そこの人々の活力と回復力の証なのだ。彼女の回答はそのことを浮き彫りにしている。広く誤解されているようだが、イヌイットのコミュニティは絶滅しかけているコミュニティとはほど遠い。検索バーに「イヌイット」と入力すると、表示される検索結果の大半は20世紀初頭の白黒写真である。ヨーロッパの探検家たちが撮影したこれらの写真は、ヨーロッパ人向けのものであり、イヌイット文化に対する時代遅れの認識をうっかり助長してしまった。しかし、現実はまったく違う。今日、イヌイットはアラスカからグリーンランドまで、北極圏全域に居住する15万人以上の集団である。イヌイットの躍動する人口は、彼らが話す言語の豊かな多様性にも反映されている。

イヌクティトゥット語のような絶滅の危機に瀕した言語を保護することの重要性は、言語学と文化研究の双方において焦点となっている。カナダ先住民文字(Canadian Aboriginal Syllabics, 略してCAS、あるいはシラビックスとも呼ばれる)は、その取り組みにおいて興味深いな役割を担っている。CASはイヌクティトゥット語を含む複数の言語を表記する文字である。それは先住民言語の重要なライフラインの役割を果たしながら、過去、現在、そして未来の世代も繋いでいる。

 

Tupiit(テント)の近くに立っているイヌイットのグループ、ヌナブト州パングニルトゥーク(Pangnirtuuq, Nunavut)、1946
(George Hunter. National Film Board of Canada. Library and Archives Canada)

カッパーマイン・リヴァー(Coppermine River, Nunavut)近郊の村に住むイヌイット、ヌナブト州(Nunavut)、1915
(Frits Johansen, Canadian Museum of History.)

 

カナダ先住民文字

カナダ先住民文字(CAS)とは、カナダ先住民の言語の一種で、Nêhiyawêwin(クリー語)、Inuktitut(イヌクトゥット語)、Anishinaabemowin(オジブエ語)、Dakelh(キャリアー語)、iyuw iyimuun(ナスカピ語)、Saı́yısı́ dëne(サイシ・デネ語)などで使われている文字体系のことである。その文字体系はアブギダに分類される。アブギダはそれぞれの記号が子音と母音の組み合わせを表す。しかし、日本語の五十音のような子音と母音の組み合わせでそれぞれの記号を持つ音節文字とは異なり、子音記号自体が母音が変わると形が変わる。

CASの特殊な点は、子音記号の向き(記号が向いている方向)を変えることによって母音を示すという点である。この子音記号を回転させて母音を表示する方法は、CAS特有のものである。

イヌクティトゥット語を例にとると、14の子音がそれぞれの文字と対応する。この文字は、回転または反転することで、3つの母音(i、u、a)のいずれかを表す。

例えば、ᕙは「ヴァ」、ᕕは「ヴィ」、ᕗは「ヴ」を表す。子音を「n」とすると、  ᓇは「ナ」、ᓂは「ニ」、ᓄは「ヌ」を表す。

母音のみを表す場合は、

ᐊ は「ア」、 ᐃは「イ」、 ᐅ は「ウ」となる。

そして、文字の上にドットを追加することで、母音を伸ばす。ᐊ(ア)は、上に点を追加すると、長音化されたᐋ(aa)になる。同じように、ᒥ(ミ)はᒦ(ミー)、ᑕ(タ)はᑖ(ター)となる。

母音が続かない子音は、小さい子音終止記号を用い、上付きで表記される。例えば、ᐸが「pa」を指す場合、ᑉは「p」を表す。しかしこれはイヌクティトゥット語の場合であり、子音終止記号の形は言語によって異なる。

「qi」、「qu」、「qa」 (ᕿ, ᖁ, ᖃ)や、「ng」行の「ngi」、「ngu」、「nga」 (ᖏ, ᖑ, ᖓ)のように、より複雑に見えるが単一音節を表す文字もある。さらに、'nngi', 'nngu', 'nnga' (ᙱ, ᙵ, ᙳ) のような音節や、'qqi', 'qqu', 'qqa' (ᖅᑭ, ᖅᑯ, ᖅᑲ) のような二重'q'子音で始まる音節には独自の文字がある。

イヌクティトゥットの音はこれらの音節文字と子音終止記号を組み合わせて表される。

またローマ字の'?'、'!'、'.'などの区切り記号や単語と単語の間にはスペースが入る。しかし、イヌクティトゥット語ではスペースは他の言語ほど頻繁には使われない。

イヌクティット語は抱合語である。つまり、単語は互いに異なる意味の単位をくっつけて構成される。このため、イヌクティトゥット語の単語は非常に長くなることがある。イヌクティトゥット語の単語で表す英語の文は次のようになる。

"Inuktituusunguvit?" 「イヌクティトゥット語を話しますか」という意味。ここでは音節を区別するために、青と黒で表示されている。

日常的にカナダ先住民文字(CAS)がどのように使われるかを知るために、例を挙げてみよう。これはイヌクティトゥット語のCASで書かれた、ヌナブトのフィギュアスケート・デュオに関するニュースの抜粋である。

ᓄᓇᕗᒥᑦ ᐅᓄᙱᓛᑦ ᐱᙳᐊᕆᐊᖅᑐᖅᑐᓂ ᐅᑭᐅᖅᑕᖅᑐᕐᒥ ᐅᑭᐅᒃᑯᑦ ᐱᙳᐊᕕᒡᔪᐊᕐᓇᒥ ᓯᐊᕐᕆᔭᐅᑎᖏᓐᓂᒃ ᐊᑎᕗᑦ ᒫᔅᓯ 15ᒥ ᑭᖑᓪᓕᖅᐹᒥ ᖁᙱᐊᖅᑕᐅᓂᐊᖅᖢᑎᒃ. ᐃᖃᓗᖕᓂ ᓄᓇᖃᖅᑑᒃ ᑎᐊ ᑭᓚᐸᒃ ᐊᒻᒪ ᑭᒻᐳᓕ ᒋᓯᖕ ᓯᐊᕐᕆᔮᖅᑐᓂ ᖁᙱᐊᖅᑕᐅᔪᒃᓴᓂ ᐃᓚᐅᔪᑑᓚᐅᖅᑑᒃ ᑭᒡᒐᖅᑐᐃᓪᓗᑎᑦ ᓄᓇᕗᒥᑦ ᐅᕙᓂ ᒫᑦ-ᓲ ᕚᓕ, ᐊᓛᔅᑲᒥ ᑕᕝᕙᓂ 2024ᒥ ᐱᙳᐊᕕᒡᔪᐊᕐᓇᖃᖅᑎᓪᓗᒋᑦ. ᑕᒪᕐᒥ ᐊᕐᓈᒃ ᓯᕗᓪᓕᖅᐹᑦᑎᐊᕐᒥ ᐱᒡᒍᓴᐅᑎᖃᑕᐅᓚᐅᖅᑑᒃ ᓯᐊᕐᕆᔭᐅᑎᓂ ᐊᑐᖅᖢᑎᒃ ᖁᙱᐊᖅᑕᐅᓪᓗᑎᒃ ᐊᒻᒪᓗ ᖁᙱᐊᖅᑕᐅᕝᕕᓪᓚᕆᖕᒦᖢᑎᒃ ᑲᓇᑕᐅᑉ ᓯᓚᑖᓂ.

“ᐊᔪᕈᓐᓃᖅᓴᖅᑎᑦᑎᔨ ‘ᐅᐱᒍᓱᑦᑎᐊᖅᑐᖅ’ ᐃᓚᒌᑦ ᓄᓇᕗᒥᑦ ᐅᓄᙱᓛᑦ ᐱᒡᒍᓴᐅᑎᔪᓂᒃ” by Madalyn Howitt on Nunatsiaq News. 2024.

 

なぜローマ字を使わないのか?

ネヒヤウェウィン語(クリー語)、オジブウェ語、イヌクティトゥット語といった言語がカナダ先住民文字(CAS)からローマ字に移行することを巡る議論には、言語的だけでなく文化的側面が付きまとう。一方ではローマ字の方が発音をより正確に表現できるという意見がある。またそれによって、それら言語の識字能力を高める可能性があり、CASが見落としてしまうような発音の微妙な違いを区別することで、言語の保存を助けられるともいう。

しかし、この移行には重大な問題がある。ローマ字の移行は、CASの豊かな文化的アイデンティティを希薄にする可能性があり、先住民の言語を支配的なヨーロッパ系カナダ人の言語規範により近づけることに他ならない。

この議論は、言語的な正確さ以上に、標準化されたローマ字の利点と文化的均質化のリスクとのバランスを取ることが重要と言える。それは、先住民独自の文化的・言語的遺産を損なうことなく、いかにして先住民の言語を近代化・保護するかという、より大きな課題に光を当てるものである。地域社会がこの文字の変更を考えるとき、文化保護と自己決定というより大きな目標に向かうことに重点が置かれる。

 

カナダ先住民文字(CAS)の起源

カナダ先住民文字(CAS)の歴史は1800年代初頭に始まる。ネヒヤワク族(英語ではクリー族と呼ばれることが多い)が自分たちの言語、ネヒヤウェウィン語(ᓀᐦᐃᔭᐍᐏᐣ)の文字表記のために採用したのが最初である。ネヒヤワク族は部族によって呼び名が異なるが、ネヒヤワクが最も広く普及しているようだ。彼らはアルバータ州からケベック州にかけての亜北極地域と、アルバータ州とサスカチュワン州のグレートプレーンズに居住している。

ネヒヤワク文字の起源については、異なる二つの説がある。

有名なものはキリスト教の宣教師であったジェームス・エヴァンス牧師が1840年に五十音表を作成したというものである。彼は当時広く使われていた速記システム、ピットマン速記のシンプルな形からインスピレーションを得たと言われている。キリスト教の賛美歌を300部、ネヒヤワク文字で印刷した彼の偉業は、よく知られている。一方で、先住民のさまざまな口承伝承は対照的な見方を示す。

五十音表は創造主キセマニトからの神聖な贈り物という。ネヒヤワク族の長老ミスタナスコウェウとマチミナフティクを主人公にしたこのバージョンは、CASの起源にスピリチュアルな側面をもたらし、宣教師の物語に挑戦している。

ネヒヤワク文字の影響は、ネヒヤワク・コミュニティ以外にもカナダの他の先住民グループにも及ぶ。19世紀半ばには、宣教師たちがこの文字をイヌクティトゥット語に適応させた。イヌクティトゥット語はカナダの主要なイヌイット語で、主に最北部全域で話されている。

In the photograph, Tapatai, assistant to Reverend W. James, is framed within the arch of a snow igloo's entrance, gazing out onto the expansive, icy landscape. Dressed in a traditional hooded parka with fur trim and mittens, he stands in profile.

タパタイ(ᑕᐸᑕᐃ)、W・ジェームス牧師の助手。タパタイという名前は、スターボード・アイに由来すると言われている。アメリカの捕鯨船員がイヌイットにつけたニックネーム。、1946年
(S. J. Bailey. Library and Archives Canada)

The black and white image depicts Anglican missionary Reverend W. James in the midst of an outdoor educational session with Inuit students in Qamanittuaq, Nunavut, circa 1948. He is pointing to a chalkboard covered in Inuktitut syllabics.

イヌイットの学生たちにイヌクティトゥット語の音節の読み方を教えるイギリスの聖公会宣教師‎ W・ジェームズ牧師、ヌナブト州カマニトゥアック、1948年
(S. J. Bailey. Library and Archives Canada)

ネヒヤウェウィン語 の文字システムは後に今日のCASへと進化した。それはカナダのケベック州北部からブリティッシュ・コロンビア州北東部にかけての地域で花開き、モンタナ州まで到達している。実際、19世紀後半にはネヒヤワク族の識字率は世界でも有数のレベルに達していた。英語の普及によって識字率が低下するまで、ネヒヤワク語は繁栄した。しかし、物語はそこで終わったわけではない。近年、CASへの関心が再燃している。

 

文字はいかに文化を守るか

CASは単なる書き言葉ではない。賑やかなカナダの都市部でも、雪に覆われた静かな北部のコミュニティでも、CASは先住民の存在とアイデンティティを大胆に宣言している。CASは、伝統、物語、言語を存続させ、過去と現在の世代の架け橋となっているのだ。このことは特にグローバル化によって独自の文化的アイデンティティが失われようとしている世界で重要な意味を持つ。

カナダ先住民文字のことを英語でカナディアン・シラビックスというが、近年、いくつかのコミュニティでは、自分たちの言語自体を英語で「シラビックス」 と親しみを込めて呼ぶようになった。これは彼らのこの文字との深いつながりを言い表している。

In a black and white photograph, Mitiarjuk Nappaaluk is engaged in an adult education session from 1983, showcasing a booklet with Inuktitut syllabics. She sits at a desk strewn with papers, reading a page with illustrations and text.

大人向けの教育ワークショップでイヌクティトゥットの小冊子を見せるミティアルユク・ナッパールック(ᒥᑎᐊᕐᔪᒃ ᓇᑉᐹᓗᒃ) 、1983
(
Tommy George Etok/Avataq Cultural Institute, used under Canadian Fair Dealing law)

 

有名なイヌーク族の作家であるミティアルユク・ナッパールック(ᒥᑎᐊᕐᔪᒃ ᓇᑉᐹᓗᒃ)は、カナダ先住民シラビックスの復興において極めて重要な人物である。彼女の著作の価値は計り知れない。彼女は自分のコミュニティの物語、伝統、世界観を共有するのにシラビックスを用いた。彼女はイヌクティトゥット語で書かれた最初の小説のひとつである、Sanaaq (ᓴᓈᕐᒃ)の著者として知られるようになった。ナッパルクはまた、文学作品を母国語に翻訳し、イヌクティトゥット語辞書の編纂にも携わった。その後、彼女はヌナヴィック地方のイヌイットの伝統や方言について教育に携わり、教育目的の本を22冊出版している。彼女は著作を通じて未来の世代のイヌイットのために努力をおしまなかった。今日でも、ナッパルックの語り口はイヌイットの生活様式への洞察を提供し続けており、彼女の文学は文化保護に欠かせないものとなっている。

しかし、先住民コミュニティとCASの関係は複雑である。植民地時代の影響下で導入されたルーツを持つカナダ先住民シラビックスが、先住民のシンボルとして受容されるというパラドックスが付きまとうからだ。けれども、このような起源にもかかわらず、先住民コミュニティはシラビックスを取り戻し、文化保護、アイデンティティの主張、そしてヨーロッパ系カナダ人の価値観に対する抵抗の道具へと変化させてきた。

特に若い世代がCASを使い続けていることは、この素晴らしい文化遺産を保存し、若返らせるという集団的な取り組みを如実に現している。CASが現代の文脈に溶け込むことで、文化的アイデンティティの息づく要素としての重要性が強調される。

シラビックスで受け継がれてきた伝統、歌、物語、そしてミティアルユク・ナッパールックのような個人の深遠な文学を通して、CASは過去と未来をつないでいる。グローバリゼーションと均質化に直面する中で、CASは抵抗と回復力、そして再生の道標として立っている。

イヌイットの長老、カナダ、ヌナブト州クライド・リバー(Clyde River, Nunavut)、2013
(Peter Prokosch, 著者により編集)

子供を抱っこするイヌイットの母親、カナダ、ヌナブト州クライド・リバー(Clyde River, Nunavut)、2013
(Peter Prokosch, 著者により編集)

 

現在の状況

イヌイットの中にはラテンアルファベットに移行したコミュニティがある一方で、シラビックスを使いつづけているコミュニティーもある。1976年にイヌクティトゥット語のシラビックスが標準化されたことは、イヌクティトゥット語の保護にとって重要な一歩であり、代々受け継いできた言語とグローバルなコミュニケーション手段を融合させるものであった。これによって統一的に識字について取り組まれ、バイリンガル教育も進んだ。

カナダ先住民文字(CAS)は、道路標識から公文書に至るまで、カナダ北部の風景の至るところに存在している。さらに、シラビックスはいくつかの地域で公式に認められている。これは、CASの永続的な意義と、文化的・言語的包括性を反映している。

The image presents a map detailing the geographical distribution of syllabic writing traditions in Canada, as of 2022 data from Typotheque.

地図は主要な3つのシラビック文字の拡がりを示している: アルゴンキン語(黒)、イヌクトゥット語(青)、ディーン語(茶)、ブラックフット語(薄いグレー)が話される地域。
(地図はTypotheque 2022のデータをもとに著者が作成)

CASは実に使いやすい文字で、素早く直感的に学ぶことができ、特に先祖伝来の言語とのつながりを取り戻そうとしている人々にとって、伝統的な言語の再活性の扉を開くものである。しかし一方で、ほとんどの教材やクラスではラテンアルファベットで行うのが主流で、CASは上級者になってから用いられる。CASは言語学習を最初からもっと親しみやすいものにする可能性を秘めているだけに、その機会が損なわている可能性がある。さらに、COVID-19や現代技術に関連するような現代的な概念に関する語彙の不足が、現代科目の教育への応用を複雑にしている。また新しい用語が作られたとしても、学習者がその用語の元となった言葉に馴染みがなければ、理解のハードルが生じてしまう。

アバタク・インスティテュートはこのようなギャップを埋め合わせることに積極的に取り組んでいるが、それらのプロジェクトや委員会はカナダ政府の予算上の制約から、なかなか難しい。

 

挑戦の道のり

カナダ先住民文字(CAS)の誕生は、カナダにおける先住民の読み書き能力に革命をもたらした。CASは地域にまたがる複数の言語のニュアンスをわかりやすく表現できる。そのシンプルさは、単に手軽さだけでなく、コミュニティに力を与え、自分たちの手で教育を行うことを可能にした。CASを使えば、誰もが教師になることができ、リビングルームが教室に、年長者が教育者に変身した。

ヌナブト州イカルイトにある聖母被昇天カトリック教会、2010
(Anick-Marie, 著者により編集)

しかし、時代が変わるとともに、CASが直面する課題も変化する。当初はそのシンプルさから人気があったものの、ラテンアルファベットを使用する英語とフランス語が主流であったことが大きな障害となった。さらに、CASの教育資源は乏しく、CASを教えるための正式な支援が十分でなかったことも、この問題を複雑にした。また1970年代まで、学校でネヒヤウェウィン・シラビックスを教えることを全面的に禁止したり、厳しく制限したりした政策は、コミュニティーに永続的な傷跡を残し、若い世代の自分たちの言語遺産とつながる機会が制約された。

電話やラジオのようなテクノロジーの出現は、先住民コミュニティ内でのコミュニケーションの形を変え、文字で書かれたシラビックスの代わりに、より迅速で便利なものを提供した。新しいテクノロジーは、シラビックスによる出版や教育を容易にする可能性を秘めているが、この変化は、世界的なデジタルコミュニケーションへの移行と相まって、英語とそのアルファベットが支配する世界ではCASの存在意義を薄れさせている。

このような課題にもかかわらず、先住民の擁護者たちは、言語が情報技術の中で認知され融合されれば、CASは現代においても繁栄し続けることができると主張している。彼らは、シラビックスの価値はコミュニケーションにとどまらないと強調する。CASが単なる過去の遺物ではなく、カナダにおける先住民の生活に不可欠な存在であり続けるよう、このユニークな文化表現とテクノロジーの進歩を融合させることが今の目標なのだ。

 

言語活性化への取り組み

近年、メディアとデジタル時代におけるカナダ先住民文字(CAS)の役割が、活発な議論の中心となっている。メディア表現では、APTN(アボリジニ・テレビ・ネットワーク、Aboriginal People's Television Network)が模範を示している。セサミストリートが視聴者にアルファベットを紹介するように、子供向け番組にCASを取り入れ、教育とエンターテインメントを融合させている。

CASがUnicode標準に含まれることで、これらの文字がデジタル・プラットフォーム上で正確かつ一貫して表現されるようになり、デジタルでの受け入れがさらに強固なものなった。この進展を踏まえ、マイクロソフトは2021年にイヌクティトゥット語とそのシラビックスを翻訳機に組み込んだことは、カナダ先住民言語にとって重要な出来事となった。現在、この翻訳機の性能はやや限定的で、特に複雑な文章や長い文章では、不自然な結果が得られることが多い。また、イヌクティトゥット語から英語への翻訳も問題があり、しばしば重要な詳細が省略されたり、単語が誤って解釈されたりする。こうした課題はあるが、デジタル翻訳ツールにイヌクティトゥット語が統合されたことは、驚くべき前進である。それはデジタル空間におけるイヌクティトゥット語とCASのアクセシビリティと表現力が高まっていることを示している。重要なことは、翻訳機の正確さと信頼性が継続的に改善されることにある。

左のイヌクティトゥット語の文章を機械が翻訳すると、「一つ知りたいのは、スケートボードはとても難しいということだ。」となるが、人間が翻訳すると、「フィギュアスケートについて一つ強調したいのは、それが難しいということだ。」となる。これは、Microsoft の翻訳機が情報を理解し解釈することにまだ問題を抱えていることを示している。これはソースデータの不足が原因かもしれない。
(Graphic created by Marvin Nauendorff with data taken from Microsoft Translator and Nunatsiaq in 2024.)

 

言語学者とデザイナーは、CASの整合性と正確さを守ることに尽力している。彼らはCASの無料リソースを提供し、デジタル表現を改良しているが、その際、CASの正確さを維持するだけでなく、先住民コミュニティの文化的・言語的背景と共鳴するよう気をつけている。

CASのための書体を作ることは、技術の進歩を受け入れることと、先住民の伝統を尊重することの重要なバランスを示している。このような努力によってCASは保存され、デジタルの世界で活躍する態勢を整えている。このことは、先住民の言語がメディアとテクノロジーの活気ある一部であることを確実にしている。

ケベック州北部のジェームズ・ベイ・クリー族は、教育環境と日常生活の両方において、カナダ先住民語シラビックス(CAS)の統合に成功していることを実証している。幼稚園からシラビックスの読み書きが重視され、その結果、シラビックスの識字率が高くなり、CASによるコミュニケーションの主流となっている。この例は言語保存のスタンダードとなっている。同様な例として、ヌナヴィクでは、初等教育の最初の3年間はすべての科目をイヌクティトゥット語で教えている。また、若者が伝統的な言語を受け入れ、学習する意欲を高めるために、タブレット端末やビデオゲームといった近代的なテクノロジーを取り入れている。

CASに対するコミュニティの支持は強く、文化的アイデンティティにおけるCASの役割や、先住民の言語を英語やフランス語のような支配的な言語と区別することを強調している。この熱意は若者が多く使うであろうデジタル空間にも受け継がれ、現代のコミュニケーションにおけるCASの関連性を反映している。

近年、先住民の言語とそのコミュニティにおけるメンタルヘルスの改善とを関連付ける研究があり、文化的・言語的活性化の重要性が強調されている。CASの革新的な使用は、その実用的な応用を示している。例えば、CASで視力テスト表などの医療教材を開発することで、CASを用いるコミュニティの医療を向上させる可能性がある。

 

今後の展望

ネヒヤウェウィン語やイヌクティトゥット語といった先住民の言語の保護は極めて重要であり、文化全体と地域社会の福祉の両方に影響を与える。一方で言語の喪失は文化の衰退やメンタルヘルスの問題の一因となる。そのため、公共サービスの職員に通訳や文化のトレーニングを提供するなど、包括的な言語活性化と住民健康のための政策の必要である。

さらに学校において、先住民言語を教える教師の不足や、先住民に関する内容が十分でないといった教育上の課題は、コミュニティの価値観を尊重する包括的な教育モデルを採用することの重要性を示している。

私たちの言語は、私たちが誰であり、何であるかです。言語の健全性は私たちの幸福の中核にあります。
— Mary Simon, Inuit Tapiriit Kanatami

効果的な言語保存の取り組みとして、イマージョン・プログラム(「その言語環境で」他教科を学びその言葉に浸りきった状態(イマージョン)での言語獲得を目指す)、コミュニティ主導の教育、早期の先住民言語学習を導入するといったプログラムを支援する政策が推奨される。実践的な言語教育を重視し、話し言葉やCASへの多様な関わりはCASの読み書きの能力を促進するだろう。そうすることで、カナダの先住民言語は学習者にとってより魅力的で、自分と関係するものとなる。そして文化的アイデンティティが育まれ、コミュニティの福祉は向上するだろう。

さらに、言語教師を養成するためのメンター・アプレンティスモデル(その言語の話者が学習者に対して一対一で行う師弟制度のような学習モデル)も実施できるだろう。

そうすることで、言語学習が文化活動と結びつき、先住民の遺産とのつながりが強化される。言語が失われる危機に立ち向かうためには、先住民コミュニティの言語的伝統と自治を優先する、革新的でコミュニティの尊重に満ちたアプローチが必要である。

 

言語の多様性がもたらすもの、手遅れになる前に

In this poignant image, an Inuit hunter is seen sharing a moment of tradition and subsistence with his child on the icy expanses of Pond Inlet, Canada, in 2013. He offers the child a piece of freshly hunted, still-warm ring seal meat.

狩ったばかりのリングアザラシのまだ温かい肉を子供に食べさせるヌイットのハンター、カナダ、ポンド湾、2013
(Peter Prokosch, 著者により編集)

カナダ先住民文字(CAS)は単なるコミュニケーション手段ではなく、文化的なライフラインとして、また先住民文化の不朽の精神と回復力を反映するものとして機能している。歴史的な出来事、社会の変化、技術の進化などの困難に直面しながらも、CASは依然として回復力を保っている。コミュニティーのCASをめぐっての経験は、地域参加の意義、文字の近代化、文化的アイデンティティと言語復興との本質的なつながりについて、洞察に満ちた教訓を与えてくれる。

今後も、教育プログラム、デジタルの進歩、草の根的活動などのイニシアチブを支援しつづけることが肝要である。CASのような文字システムが、世界の言語的・文化的豊かさを維持する上で不可欠な役割を担っていることを認識すること、CASの歩みは、絶滅の危機に瀕した言語や文化が存続するだけでなく、発展することができることを強調している。


Edited by

Alice Pol, Anthony Burger & Aline Vitaly

Acknowledgements

Naulaq LeDrew (Inuk elder and artist)

Mitiarjuk Nappaaluk (Author of Sanaaq, the first novel written in CAS)

Mary Simon (President of Inuit Tapiriit Kanatami)

Prof. Dr. Lars C. Grabbe (Professor of Theory of Perception)

Cite This Article

Nauendorff, Marvin. 2024. "Script as a Cultural Lifeline - The Untold Story of Canada’s Indigenous Writing System." Linguaphile Magazine, March 23.
https://www.linguaphilemagazine.org/editorial/script-as-a-cultural-lifeline.

 

Further Reading

Writing the story of a changing North: Sanaaq - An Inuktitut Novel by Mitiarjuk Nappaaluk. By Pauline Holdsworth on CBC Radio, 2023

Nunatsiaq News features a wide variety of articles written in Inuktitut Syllabics and English.

Inuktitut Tusaalanga offers a big number of free online lessons for various Inuktitut dialects.

 

Bibliography

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